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2024年11月22日
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紀伊半島トリップ 其の壱

2013年06月25日
超!超過去ネタをUP(爆

6月1日夜発で3日にかけて、伊勢から那智勝浦へと紀伊半島を約半周してきた。

車はもちろんボローバー。
それと今回はもう一台、娘とその彼氏が乗るコンテの2台で、不安 To Drive Again の旅(笑

結果は何も故障はなく至って快適な旅であった。

IMGA0709.JPG

伊勢といえば赤福でしょ。

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続きはこちら "紀伊半島トリップ 其の壱"

春祭り

2013年05月01日
先週末、地域の春祭り「加悦谷祭り」が執り行われた。

我が村は大人神輿・子供神輿・子供屋台(山車?)・神楽が町内を巡行するのだが、その子供屋台の世話役を数年前から仰せつかっている。

以前に町がYouTube に公開した加悦谷祭りの我が村の様子はこちら↓
加悦谷祭り(幾地地区)



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続きはこちら "春祭り"

お水送り

2013年03月03日
3月に入り春一番が吹いたかと思うとまた真冬に逆戻り・・
北風が吹き付け小雪が舞う3月2日、去年に引き続き若桜小浜で執り行われるお水送りに行ってきた。
去年の記事はこちら

IMGA0468.JPG

神宮寺での神事。
長い読経が終わると社内で炎が上がり、赤装束の層が松明をかざす達陀が行われる。

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続きはこちら "お水送り"

三輪山登拝と山辺の道

2013年01月22日
土曜夜、大阪梅田のとある炉端焼き店で夕食。
待ち合わせ相手はインフルエンザにかかったとのことで、結局嫁さんと二人ゆっくりと大阪キタの夜を楽しんだ。

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翌朝病人のアパートへ見舞いに行った後、中央環状を南下して東へ折れ奈良県入り。
奈良盆地の南端を横断し大神神社の大鳥居横の駐車場に着いたのは11時を少し回った頃だった。

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続きはこちら "三輪山登拝と山辺の道"

お水送り 遠敷と丹生

2012年03月03日
古都奈良に春を呼ぶ行事「東大寺二月堂のお水取り」はニュースでも取り上げれるほど全国的にも有名だ。
お水取りの由来は、
二月堂のご本尊の法要に呼ばれていた遠敷(おにゅう)大明神が、漁に夢中になり遅刻してしまった。お詫びのしるしにとご本尊にお供えするお香水を若狭の地から送ると約束し、二月堂の下の岩を叩くと水が湧き出して、これを若狭井と名付けた。
との事。
詳しくはこちら東大寺二月堂のページでご確認を。
この「お香水」は若狭小浜の遠敷川上流にある鵜の瀬から10日間かけて(誰かが届けるのではなく地下水脈を通って)二月堂の若狭井に届くと言うが、鵜の瀬で執り行われる行事「お水送り」はあまり知られていない。

毎年3月2日、お水送りが行われるというので、昨日の夕方小浜へ向けて車を走らせた。

19時前に人でごった返す神宮寺の境内に入る。
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周りの多くの人たちは松明(たいまつ)を持って法要が始まるのを待っているけど、僕らは今から何が始まるのか、何をすればいいのかわからないので、とりあえず大きな木の下で時が来るのを待った。

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つづきはこちら "お水送り 遠敷と丹生"

建国記念の日

2012年02月12日
昨日は建国記念の日で祝日。
あたしゃ仕事だったが・・
朝から予定外の仕事が次々と舞い込み・・と言ってもお客さまあっての商売だから予定外作業は当たり前なのだが、てんやわんやの一日だった。。
そんな祝日の朝、左に翼がある方が「君が代」を大音量で流し車を走らせていた。

建国記念の日とは初代天皇である神武天皇が即位した日。
日本書紀に神武天皇が元旦に橿原に宮を建てた日と書かれていて、この元旦を太陽暦で計算したら紀元前660年2月11日になるそうだ。

ところで、初代天皇である神武天皇は実在したのか?というと、どうもそうではないらしい。
神武天皇どころか第10代の崇神天皇より前の9代の天皇は実在していないと言われているし、第15代の応神天皇が初代の天皇だとも言われている。
はたまた、神武天皇と崇神天皇と応神天皇は同一人物だとも・・・
全ては古事記と日本書紀に書かれた神話の中の話で、実は古代日本を征服した天皇一族が、天皇制の正当性を説明する為に作った物語だろうと・・・
初代天皇とはいったい誰で何者なのか?どこからやってきたのか?

ちなみに西暦とはイエス・キリストが生まれた翌年が紀元元年だが、日本では昭和23年に廃止された紀元節(明治時代に定められた建国記念の日に相当する祝日)までは、紀元といえば皇紀をさしていたとの事。
この神武天皇即位の年を皇紀元年として今年は皇紀2672年だそうだ。

そんな皇紀2672年2月12日、古代のミステリーに思いを馳せながら?また再来週から始まる聖地広島での研修に向けてPCに向かい課題を消化する日曜日。。。

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海部小学校の校章

2012年02月01日
今日、ミステリー愛好家倶楽部のエージェント(笑)から写メールが送られてきた。

題名:!
本文:海部小学校

という短いメール。
添付された画像をみた瞬間「え~~~~っ!」
と仕事中なのに思わず大声。。

画像はたまたま仕事で京丹後市久美浜町海部(あまべ)の海部(かいべ)小学校を訪れたエージェントが、小学校の校章を写したものだった。
本人もびっくりしたらしいが。

後日上記訂正→海部(かいべ)地区の海部(かいべ)小学校
小学校の住所は京丹後市久美浜町橋爪。

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つづきはこちら "海部小学校の校章"

秦氏を訪ねて 大酒神社

2012年01月26日
厳かな空気の中で国宝・重要文化財を拝観し広隆寺を後にする。

南門から東へ少し歩くと小さな社がある。
名前は大酒(おおさけ)神社。またの名を太秦明神。
この社はもともと広隆寺の境内にあったものが明治期にここに移設されたらしい。

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御祭神は 秦始皇帝 弓月王 秦酒公
いずれも秦氏の祖先だという。
弓月王率いる百二十県の民が百済より渡来し秦氏を名乗ったのだが、その弓月王の孫が秦酒公だということ。秦氏が秦始皇帝の子孫だというのは諸説あるようだが詳細は不明らしい。

大酒は本来「大避」または「大辟」と書き、旧字で「大闢」。中国読みすると「ダヴィ」らしい。

本殿を撮影したはずなのに残っていなかった・・・(謎

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つづきはこちら "秦氏を訪ねて 大酒神社"

秦氏を訪ねて 広隆寺

2012年01月11日
先日の月曜(成人の日で祝日)は秦氏を訪ねて、広隆寺、大避神社、木嶋坐天照御魂神社(蚕の社)、晴明神社、京都御所、上賀茂神社、下鴨神社と京の都を歩いてきた。

秦氏の拠点である太秦。
実は弟がすぐ近所に住んでるのだが、正月に帰省してて顔を見たので家には寄らずに広隆寺の駐車場に車を止める。

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広隆寺本堂 聖徳太子立像が安置されている。

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つづきはこちら "秦氏を訪ねて 広隆寺"

謹賀新年

2012年01月01日
日付が変わる15分前に籠(この)神社の駐車場に到着してました。
境内には既に初詣の参拝者が長蛇の列・・
新年を迎えると拝殿では太鼓の音と共に雅楽が流れ、巫女さんの舞いが奉納される。
参拝を済ませて舞いを見れたが、ほんの少しだった。。

NCM_0229.JPG
 

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