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2024年11月22日
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権現山 20130512

2013年05月12日
この週末は大峰へ今シーズン最初の沢の予定だったが・・・
しかもお江戸よりお客様をお迎えし、いきなり渓中泊の予定で・・・
しかしながら水曜あたりで天気予報は土日に雨。土曜はかなり降ると・・・
ということで残念だが計画は雨と共にお流れに。

ふたを開けてみると確かに土曜は雨だった。紀伊半島では強く降ったところもあったようだ。
だが本日の日曜は全国的に快晴!
これはもったいない。少し近所を歩くか・・

ということで町内で以前から気になっていた権現山を歩いてきた。

IMGA0637.JPG
権現山526.7mから望む大江山連山

拍手[1回]

加悦奥峠に向かう町道が一気に細くなる手前の広い路肩に駐車。
畑仕事をしているおじさんに挨拶し10時19分に鹿除けのゲートをくぐる。
地形図に破線はあるが、果たして登山道があるかは不明だ。

薄暗い植林の中の沢を何度かまたぎ、倒木や間伐材で所々塞がれた道を進む。

IMGA0626.JPG

標高200mを超えたあたりでいよいよ道が不明瞭になる。
地形図では左岸に分かれる谷に破線が向かっているが、これは明らかにまっすぐ見える大きなこの谷を進んだほうが良さそうと判断し、薄い踏み跡を辿って谷を詰める。
標高400mあたりで急登になるが、道は広く鮮明になり、谷幅も広くて明るく歩きやすい。
程なく鞍部に到着。

IMGA0633.JPG

写真左が加悦奥側で薄暗い植林。、右が明るく広葉樹の新緑が眩しい自然林の奥滝側。
左右でこの違い。
この開けた尾根筋を登ると・・

IMGA0635.JPG

権現山山頂 526.7m 2等三角点
ここ自体は展望は効かず、少し離れて南側に石舞台があり、先ほどの大江山の展望。
少し北に進むとこちら。

IMGA0636.JPG

中央に見えるのは高竜寺ヶ岳。

まぁそこそこの展望ですな。

休憩もそこそこに来た道を戻り、地形図にある卍マークを目指す。

尾根上は明瞭な踏み跡で明るい。

程なくして右手に分かれる道を進むとありました。

IMGA0639.JPG
これは手水鉢か?

IMGA0641.JPG
その奥には平らな場所があり、御堂の痕跡が。礎石跡か?

地形図に卍マークがあるのにお寺は無い。どないやねん国土地理院。

権現堂跡を後にし地形図に破線がある峠を目指し、明瞭な道を下る。
すると御堂跡のすぐ後ろにはこんな巨石が2つも!
IMGA0643.JPG

やはり修験道の山だったようですね。
熊野三山を代表とする自然崇拝。岩に(速玉大社)、川に(本宮大社)、滝に(那智大社)神が宿り、それを崇める日本古来の信仰に仏教が融合した宗教です。

権現とは
日本の神の神号一つ。日本の神々を仏教の仏が仮の姿で現れたものとする本地垂迹思想による神号である。という文字は「権大納言」などと同じく「臨時の」「仮の」という意味で、仏が「仮に」神の形を取って「れた」ことを示す。
Wikiより

しばらく歩くと鞍部に到着。左右とも道は明瞭です。
進路を北に取り、しばらく進むと・・・なだらかな傾斜の植林地帯に間伐された端材が積もり、しかもあちこちに薄い踏み跡らしきものがあり、訳が分からなくなる。。
とりあえず谷に向かって下っていくと・・・古い作業道にでた。
おそらく加悦奥峠頂上付近から続く林道の末端かと思われる。
行き止まりに赤テープがあり、そこからまた踏み跡を辿るが・・またしても不明瞭に・・
しばらく道とも言えぬ斜面を下ってると沢が現れ、対岸に向かう丸木橋を発見。

ありました。標高200m付近で往路と合流。
あとは気楽に進んで11時54分に鹿除けゲートをくぐる。



これまでの経験にたがわず、地形図の破線はあてになりませんでした(笑

畑のおじさんに聞いてみると、傍を流れる川の川下を指さして「権現さんはずいぶん昔にそこに下ろされたで」と。
お礼を述べてそちらへ。

IMGA0649.JPG

ずいぶん前といってもかなり新しそうですね。

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Comment
No title
しぶい!!

加悦奥ですか?
こちら八王子近辺にも似たようなところがあります。田舎ってのはどこも一緒だねえ。

ちなみにこっちも似たような天気だったので、唯一晴れた日曜、今季初の沢に行ってきました。

次回はいい天気を期待しつつ...
雨の予報に負けて・・
会えなくて残念でしたね。
実は金曜朝にわかった事で、雨でなくても親戚まわりで不幸があり、もし土日に葬儀なら大峰行きは危うい所でした。結果的には昨日から嫁さんだけ九州に行ってますが。。

沢初め、いいですね!どちらまで?
今年は雪が少なかったので北部の沢のスノーブリッジはもう消えてるかな?
早く沢靴履きたいです!

点の記を確認すると、点名「加悦奥」は選点が明治22年。最終の観測は昭和52年とありました。
少なくとも権現さんは昭和52年には地形図の場所にあったのかも知れませんね。
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